小岩井の「ものづくり」の原点は、盛岡の北西・岩手山南麓に位置する、広大な小岩井農場にあります。かつてこの地は、火山灰土に覆われた不毛の地でした。そこに開墾の鍬が入れられたのが1891年(明治24年)のことです。
ヨーロッパ農法に準拠した本格的な農場を建設しようという想いでスタートしたこの一大事業は、土地改良、圃場の暗渠排水路の整備、防風・防雪林の造成などの基盤の整備に数十年を要しました。
創業にあたり、共同創立者である日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱の第二代社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝、三氏の頭文字をとって「小岩井農場」と名付けられました。
少しずつ農場としての姿が整いつつあった小岩井農場が、牛乳の生産を開始したのは、開墾開始から8年目となる1899年(明治32年)。ここに今に続く小岩井農場の酪農は産声をあげました。1901年(明治34年)には海外より乳用牛を輸入。
その後も品種改良を続け、我が国の畜産振興のために種畜の生産供給(ブリーダー)事業を行うとともに、乳製品の製造に本格的に取り組みました。小岩井の「土づくり・草づくり・牛づくり」へのこだわりは、明治期から始まっていたのです。
1902年(明治35年)、小岩井乳製品の源である「小岩井 純良バター」の販売が始まりました。乳酸菌で発酵させるヨーロッパの伝統的な製法をとり入れ、多くの手間と時間をかけて丁寧に作られた芳醇な香りは、当時の人々を大いに驚かせ、虜にしました。
後に、この伝統の醗酵バターを仕込んだチーズの数々や、長時間発酵の技術を活かした「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」などが生まれることになります。
明治時代からの「ものづくりの精神と技術」は、小岩井乳製品のすべてに受け継がれています。
ロゴマークやパッケージデザインを一新。「豊かな自然環境」「高品質で本格的な味」「伝統とそれに裏打ちされた信頼」をコンセプトに、手作り感のあるグラフィックを使いながらも、清潔感のあるモダンなデザインは、当時の市場に新しい小岩井乳業を印象づけました。
ブランドマーク誕生と共に発売された乳製品ギフトセットは売れに売れ、増産を重ねても追いつかずに品切れとなってしまうデパートが続出。華々しいデビューとなりました。
この年、現在も親しまれている「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」がデビュー。日本において初めてプレーンヨーグルトで長時間前発酵製法を採用しました。
小岩井が特にこだわったのはそのなめらかさ。専用のタンクで半日以上じっくり発酵させ、丁寧にやさしく撹拌することで、口当たりなめらかなヨーグルトが実現しました。なめらかさを活かした、そのまま注げる三角パッケージも話題となりました。
前発酵製法は一般的に「飲むヨーグルト」で行われていますが、小岩井独自の技術で、プレーンヨーグルトへの応用に成功。長時間かかるため効率的とは言えませんが、現在に至るまで、こだわりの味わいとなめらかさを守り続けています。